カテゴリー「文学」の18件の記事

2007年8月23日 (木)

マルクス その可能性の中心

柄谷行人の「マルクス その可能性の中心」(1978)は高校時代にはじめて読んだ批評でした。マルクスを貨幣の謎に根本的に向き合った思想家として捉えて、そこから価値形態論に注目していきます。商人資本主義の段階では商品の価値は地域差によって生じていたものが、産業資本主義には技術革新によって時間の差によって生じる。空間的にも時間的にも複数の価値体系があり、価値はその差異によって生れるので、商品自体にはないという。左翼思想・マルクス主義・共産主義の思想的な破産した時代に、マルクスに可能性があるとしたら、マルクスの「資本論」を読み直すこと以外にはない。「資本論」は貨幣・商品・価値の現実の姿を見極めようとしたもので、その真の姿はいまだ解き明かされていない。

時間的に複数の世界が貨幣によって繋ぎ止められている。貨幣は複数の世界を移動している。貨幣がなければ、世界は分裂したままである。

2007年8月17日 (金)

同時代ゲーム

1979年、大江健三郎は「同時代ゲーム」を出版します。難解でおそろしく評判が悪い小説でした。リアリズムから完全に逸脱した奇妙にグロテスクな小説は、兄から妹への手紙で綴られています。兄は日本書記の歴史家で、妹は所在不明です。手紙自体が届く可能性はない、不確かなものです。その手紙の内容は、自分たちの出自である江戸幕府にも明治政府にも従わなかった村=国家=小宇宙の歴史を、父親に命じられて語るというものでおそろしく誇大妄想的なのです。兄は村の歴史を書くことを逃れるために、妹との近親相姦を試みる。国家の成立には暴力の独占という法が成立する必要がある。近親相姦の禁止という法をやぶることで、歴史の記述から逃れる。にもかかわらず、小説という形で書いている。それは神話でもあり、歴史でもあり、物語でもあり、手紙でもあるという奇想な書物が生れたのである。

理想の国家・社会を語れなくなった時代に、国家に抗する共同体をえがこうとしたら、その理想の共同体はどうみてもグロテスクな代物でしかないのでした。

2007年8月13日 (月)

犯罪者永山則夫からの報告

同じころに地方から東京にでてきた永山則夫と中上健次は新宿のジャズ喫茶に出入りしており、中上は永山則夫の連続殺人事件(1968)について長文の批評を書いている。当時強い印象を受けました。事件を自分とひきつけてみる方法は大胆で、高校生の僕にはなじみのない思考でした。文学の力はすごいな、作家というのはなんと強靭でかつ繊細な感受性を持つものなのかと思いました。内部の人間に対して永山を外部の人間であるといっています。また、連続という運動にひかれています。永山という犯行そのもの、連続殺人そのもののありようを捉えようとしています。

当時、永山の「無知の涙」(1971)が文庫化されていましたのでさっそく読みました。殺人者の手記が出版されていること自体も驚きでしたが、事件時に読み書きが不自由な19歳の少年が、収監後に本を読むことで独学で文字を習得して、貧困と無知による犯罪だったとしています。中上はこのエッセイを批判しています。文字の獲得によって、文学という内部におさまることががまんならいようです。1968年の全共闘運動が、大学生という地方から都市にやってきた青年たちによる祝祭であるとするなら、その裏側に中学・高校を卒業して集団就職してきた青年の鬱屈した精神が犯罪にいたることがあった。中上は「灰色のコカ・コーラ」という小説を、その新宿のジャズ喫茶を舞台に書いています。中上は一方で偽学生として学生運動にも関わっている。地方から都市に大量の人間が移動した1960年代は、鬱屈した精神を発散する場所を求めていました。

2007年8月11日 (土)

紀州 木の国・根の国物語

1978年発表のルポルタージュ「紀州」は、中上健次が紀伊半島の各地を回りながら、差別・被差別の問題をあぶりだしていきます。この時点では中上はまだ自分が被差別部落民であるとは公表していませんでした。中上は被差別者の立場にたって差別を告発することをしていません。1970年代には紀伊半島にも都市化・近代化の波が打ち寄せてきます。道路整備や家屋の建替えがすすみ、健全な市民生活・市民社会が成立するはずだと疑いなく思われていました。しかし、事実はうわべの現象ではわかりません。中上は紀伊半島の土地・土地を車で回りながら、いきつもどりつの思考の蛇行をくりかえします。小説家による国家論・文化論である三島由紀夫の「文化防衛論」(1969)や谷崎潤一郎の「陰影礼賛」(1933)のような作家に統御された論理ではなく、地を這うようにいきる個々人と土地の事実につきあたっています。

あれから30年後に、紀伊半島は高速道路は大阪からみなべまで伸びている。今年中には田辺までつながりという。中辺路ルートの国道311号は本宮までの道路は改良されている。国道42号の日置からすさみ間はトンネルが通った。市町村の合併で龍神から本宮まで田辺市に合併された。新宮にも田辺にも郊外に大型スーパーが進出して、中心街は空洞化している。熊野古道が世界遺産に登録されて、観光客は増加しています。

1970年代に進行していた土地開発という危機が、路地の世界の発見につながり、その路地はすでに消滅の過程に入っていた。だから、紀伊半島を移動しながら、神武東征の神話から戦国時代の雑貨一族の敗北、大逆事件の敗北と、歴史を呼び覚まし、差別が物語の構造そのもであるという事実に突き当たることになる。差別は国家による暴力装置であり、それを支持するのは国民自身でもある。

2007年8月 9日 (木)

路地の世界

和歌山県新宮市の作家が芥川賞を受賞したことは知っていたけれど、あまり関心がなかったのが現代文学を何冊か読んだ勢いで「岬」と「枯木灘」を読んで衝撃を受けます。1976年芥川賞受賞作の「岬」は普通に面白い小説でしたが、1977年に出版された続編の「枯木灘」を読んで小説の世界というのはとてつもなくすごいものなのかと思いました。それからは過去の中上健次の本をすべて読んで、文芸雑誌で名前を見つけると読むようになります。

「枯木灘」の単行本には和歌山県の地図と主人公の秋幸を中心とした複雑な血縁関係が記された冊子が入っています。地図も家計図も、全体を俯瞰する視点からは便利なものですが、作品自体には全体を俯瞰する普遍的な視点はありません。普遍的な視点、神の視点、超越的な視点がないということは、個人はばらばらに存在しているということです。ばらばらに存在している個人は路地の世界でのみつながっています。路地の世界では個人の情報は生れてから死ぬまで筒抜けで、過去に起こった出来事はみんなに知られているのです。ここには友情や恋愛はありません。これは日本の農村共同体と同じ世界ですが、路地の世界は閉じた社会ではなく、情報や意味の吹き溜まりであり、うわさは嘘を含み、絶えず書き換えが行われています。複数の主観性が肯定されているのが路地の世界なのです。

この路地を焼き払おうとするのが、秋幸の父親です。この時代は田中角栄の日本列島改造によって土地の転売が進みます。田中角栄はその意味では「蝿の王」です。ロッキード事件で逮捕されたのが1976年ですが、日本列島改造は行き続けて1980年代後半のバブル帝国にまで至ります。秋幸もまた父親を殺そうとしますが、果たせませんでした。秋幸は土方をしています。つまり路地を殺す側にいるのは主人公自身なのです。

2007年8月 8日 (水)

限りなく透明に近いブルー

1978年頃、1976年芥川賞受賞の村上龍の「限りなく透明に近いブルー」がちょうど文庫化されたので早速買って読みました。これは性描写が過激だという評判で話題になっていたものです。ロック・ドラッグ・セックスの描写が続くのですが、心理描写がなくてまったく隠微なところがない、不思議な読書体験でした。アメリカ軍兵士とヒッピー化した日本女性たちと主人公のリューとの乱交パーティーがスポーツの運動のように描写されます。ベトナム戦争にいくアメリカの若者と、基地を提供する日本の若者が、ユース・カルチャーを通して交じり合っていく。ここでは、日本とアメリカの政治関係が、メタファーとして描くのではなく、基地という日本に突き刺さったアメリカを拒否しながら、一方でアメリカン・カルチャーは受け入れるというありかたは、心理的に処理できる状況ではなく、マゾヒスティックに受け止めざるをえないのである。この小説は日本の現実がなにであるかを示している点が、心理的な抵抗を生みました。1969年の佐世保への米軍艦隊の寄港反対運動を高校生で体験した村上は、反対運動そのものを自己反省もなく、肯定しています。それは学生運動を否定的にしか回想できない全共闘世代とは異質なものです。

1970年代後半に地方都市の高校生である僕は、村上龍によって洋楽・ロックを聴くようになります。

2007年8月 6日 (月)

芥川賞作品と出会う

1978年に高校入学して、初めて芥川賞受賞作品を読みました。同年受賞の高橋三千綱の「九月の空」と前年受賞の三田誠広の「僕って何」です。単行本を買ったのは初めてです。「九月の空」は剣道に打ち込む高校生を主人公にした青春小説で、「僕って何」は全共闘運動に巻き込まれた大学生を主人公にした青春小説です。中学の時は推理小説しか読んでなかったし、純文学は敬遠していたのですが、学生を主人公にした2作品とも共感しやすくて惹かれました。江戸川乱歩賞の小峰元の「アルキメデスは手を汚さない」(1973)や栗本薫の「ぼくらの時代」(1978)のような学園青春ものを読んでいたので、同じような感覚で読めました。ただの印象ですが、1970年代に入ってから学生を主人公にした青春小説が増えたような気がします。ぼくが好んで読んだせいかもしれませんが。

特に「僕って何」は1968年の学生運動を背景に描いていて興味をひきましたが、主人公は学生運動に関わっているにもかかわらず、運動自体を否定的に描いているわけです。1968年の運動を肯定的に捉える視点は2000年に入るまで日本ではなかったように思います。1970年代は全共闘世代は就職転向して体制に順応していましたので、運動自体を肯定的に描くことはできませんでした。実際、1970年代の学生運動は内ゲバを繰り返していましたので、とても肯定できるものではありません。だから「僕って何」は1968年を描いているのではなく、1970年代からシニカルに振り返って書かれたように読めます。1968年の運動を世界的なシステム変動として捉えるウォーラスティンのような視点がないので、「僕とはいったい何者なのだろう」という自分探しの物語になっています。「九月の空」も自己鍛錬する若者を描いています。

それに比べると栗本薫の「ぼくらの時代」のほうが、アイドル歌手に夢中になる女性とその自殺の手伝いをする主人公の大学生を描いていて、1970年代の時代の屈折を掘り起こしているようにおもいます。芥川賞のほうが通俗的な青春小説で、江戸川乱歩賞のほうが時代と社会に触れているということだったと思います。

2007年7月23日 (月)

赤川次郎の時代

1976年赤川次郎は「幽霊列車」でデビューしましたが、ゴシック・ロマンス風に味付けされた上質のミステリーだった記憶がありますが、1978年に始まる「三毛猫ホームズ」シリーズによって、赤川次郎は時代の寵児になっていきます。シリーズ第一作「三毛猫ホームズの推理」は、内容から見たら、恐ろしくシリアスな作品です。女子大を舞台に女子大生が変質者に殺される事件が続き、やがて女子大のなかに売春グループが組織されていたことがわかる。それとは別に大学内の権力争いと汚職にからんで学部長が殺される事件が起こる。主人公の刑事の捜査の結果、捜査を助けてくれた明るい女子大生こそが、売春グループのボスであり、犯人は刑事が尊敬して慕う上司の警視であることがわかる・・・。同じ内容で深刻な社会派ミステリーに仕上げることもできるところを、恐ろしく能天気な語り口の形式で、ドタバタ喜劇調でラブ・コメディーであり、ご都合主義な推理展開になっているのです。松本清張をよしとする読者には受け付けないであろう展開が、中学・高校生を中心に爆発的に受け入れられていきました。

なぜ、でしょうか。デビュー作「幽霊列車」では、現実世界と空想世界には区別があって、現実世界と空想世界を行き来することで、ゴシック・ロランスが成立していたものが、「三毛猫ホームズ」では現実世界と空想世界は同じ地平にあって、空想したことが、そのまま現実であるような世界が成立しているのです。舞台となっている警察や学校は、本来空想的な場所ではない日常的な場所・散文的な場所にもかかわらず、メルヘンチックな場所として描かれます。女性恐怖症で、血が嫌いで、刑事を辞めたいと考えている主人公と理知的な妹の二人くらしという空想的な設定は、まんが・アニメになじんだ世代にはもっとも受け入れやすい舞台です。赤川次郎が画期的なのは、まんが・アニメと同じような視線を推理小説というリアリズムに持ち込んだところにあります。のちに「おたく」と呼ばれる世代は、赤川作品を受け入れた僕たちの世代から始まるといってよいでしょう。

2007年7月21日 (土)

虚無への供物

1964年作中井英夫の「虚無への供物」は、1974年文庫化されています。「ドグラ・マグラ」と前後して読んで興奮しました。この小説はラストで、この探偵小説を娯楽として喜んでいる読者に対する告発がされていて、実際、この小説は探偵小説批判として書かれています。探偵小説を読む読者諸君(大衆)こそ、現実の犯罪を作り出しているのではないか、という問いかけがなされます。しかし、いうまでもなく、読者は反省しません。虚無とはそういう読者(大衆)の中身のなさ、犯罪を楽しむ空洞を指しています。この作品自体がそういう読者(大衆)への供物になっています。

この小説が文庫化されたころからむしろ犯罪をエンターテイメントとして推理する態度が増えていきます。患者を診察もしないでいいかげんな推理を披露する精神家医や断片的な情報で犯人像を推理する犯罪の専門家たちがこの小説は倫理的に批判しています。事故死であるにもかかわらず、4人の素人探偵が推理を競い、4通りの犯人を見つけてしまう。そんな小説のなかの出来事が、現実に日々行われています。我々は犯罪をエンターテイメントとして待ち望んでいる怪物なのである。中井英夫がこの小説以外に探偵小説を書いていないことにストイックな倫理性を感じることができます。我々自身が自分のなかの虚無に気づく必要があるのです。

2007年7月20日 (金)

ドグラ・マグラ

1935年作の夢野久作「ドグラ・マグラ」を読んだのはたぶん高校受験が終わった1978年の春だったと思う。この小説は1960年代末の全共闘運動の時に、反近代・土着のブームの中で再評価されたものが、1970年代中頃に文庫化されて、中学生の僕にも気楽に買えるようになったのでしょう。一読後、スケールの大きさ、実験精神に驚嘆してしまいました。1930年代という時代は、マルクス主義者は逮捕・転向を余儀なくされ、満州事変でアジア主義が現実のものとなり、軍部が独走する帝国主義がきわまり、近代主義・自由主義者は息をひそめるというような時代です。

「ドグラ・マグラ」の世界は一言でいうと独我論的な世界だと思います。精神病院を舞台にして記憶喪失になった<わたし>が、医師と患者の非対称的な関係のなかで、自分が何者なのか、なにが真実でなにが虚偽なのかわからない世界に閉じ込められている。あやしげな学術論文やパンフレット、インタビュー記事、遺言書などによって現実に起こったことのの手がかりになっているが、その資料自体が偽造されたものでないとの保証はない。この世界では絶対的な真理はそのまま絶対的な虚偽に転化するメビウスの輪で構成されているので、<わたし>は<現実>を喪失していくほかないのです。これは1930年代の日本の現実の状況そのままではないでしょうか。この時期を代表する哲学者の西田幾多郎は絶対無を基底にした絶対矛盾的自己同一性の世界を打ちたてましたが、ばらばらの個人がたがいに矛盾を維持しながら、全体を包摂する場所の論理はドグラ・マグラの世界と似通っています。

同時期にアインシュタインの相対性理論は日本でもブームになりましたが、それは我々がよく知っていると思っている現実が、本当の現実ではないという衝撃があったからでしょう。実感では天動説なのに、現実は地動説であるということを知ったときの驚きは、我々の認識では、現実そのものを捉えられない。18世紀のコペルニクス的転回が改めて、1930年代に問われたのです。そこから、「世界はすべて私の幻想ではないか」という独我論に陥るのである。1970年代の日本は1930年代の日本にくらべて、帝国主義もアジアア主義もなく、戦争も革命もない、密室化した近代主義だけが広がる時代に、「ドグラ・マグラ」は不可知論的なニヒリズムをもたらしたのです。