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2007年8月

2007年8月23日 (木)

マルクス その可能性の中心

柄谷行人の「マルクス その可能性の中心」(1978)は高校時代にはじめて読んだ批評でした。マルクスを貨幣の謎に根本的に向き合った思想家として捉えて、そこから価値形態論に注目していきます。商人資本主義の段階では商品の価値は地域差によって生じていたものが、産業資本主義には技術革新によって時間の差によって生じる。空間的にも時間的にも複数の価値体系があり、価値はその差異によって生れるので、商品自体にはないという。左翼思想・マルクス主義・共産主義の思想的な破産した時代に、マルクスに可能性があるとしたら、マルクスの「資本論」を読み直すこと以外にはない。「資本論」は貨幣・商品・価値の現実の姿を見極めようとしたもので、その真の姿はいまだ解き明かされていない。

時間的に複数の世界が貨幣によって繋ぎ止められている。貨幣は複数の世界を移動している。貨幣がなければ、世界は分裂したままである。

2007年8月21日 (火)

1979年 イラン革命の衝撃

1973年の第4次中東戦争の結果、アラブ地域が団結して石油の輸出を制限して欧米諸国と日本に打撃を与えます。オイル・ショックはアラブ諸国からみたら、第一次大戦によるiイスラム帝国の崩壊、植民地化から第二次大戦後の独立を経て、アラブの大儀を掲げた出来事だったのです。潤沢なオイル・マネーがアラブ諸国の近代化を促進した結果、イランでは王政の近代化にたいする不満の受け皿をイスラム教が果たし、1979年王政に対する反近代としてのイスラム革命が起こり、ホメイニ師が最高指導者となります。アラブではマルクス主義がもはや革命の希望ではなく、イスラム教がその代わりとなったことを示しています。同年マルクス主義の大元であるソ連がアフガニスタンに侵攻して事態は決定的になります。アメリカはアフガニスタンの反政府組織を支援して、そのなかにはビンラビンがいます。1980年イスラム革命の輸出を畏れるイラクと革命の防衛を果たすイランの間で、イラン・イラク戦争が始り、ここでもアメリカはサダム・フセインのイラクを援助します。

ソ連はアフガニスタン侵攻で泥沼に陥り、共産主義体制の崩壊を早めました。イランはイラク・イラン戦争で疲弊してイスラム革命の民主的な成果を果たせませんでしたが、代わりにアラブ諸国にイスラム原理主義を広める結果となります。イラクはアメリカの援助で強大なフセイン体制を築きましたが、それが痣となり、湾岸戦争に至ります。アフガニスタンはアメリカの援助を受けたタリバン政権が生まれますが、湾岸戦争の結果、反米とイスラム原理主義が台頭してきます。

2007年8月17日 (金)

同時代ゲーム

1979年、大江健三郎は「同時代ゲーム」を出版します。難解でおそろしく評判が悪い小説でした。リアリズムから完全に逸脱した奇妙にグロテスクな小説は、兄から妹への手紙で綴られています。兄は日本書記の歴史家で、妹は所在不明です。手紙自体が届く可能性はない、不確かなものです。その手紙の内容は、自分たちの出自である江戸幕府にも明治政府にも従わなかった村=国家=小宇宙の歴史を、父親に命じられて語るというものでおそろしく誇大妄想的なのです。兄は村の歴史を書くことを逃れるために、妹との近親相姦を試みる。国家の成立には暴力の独占という法が成立する必要がある。近親相姦の禁止という法をやぶることで、歴史の記述から逃れる。にもかかわらず、小説という形で書いている。それは神話でもあり、歴史でもあり、物語でもあり、手紙でもあるという奇想な書物が生れたのである。

理想の国家・社会を語れなくなった時代に、国家に抗する共同体をえがこうとしたら、その理想の共同体はどうみてもグロテスクな代物でしかないのでした。

2007年8月15日 (水)

時をかける少女

原作の筒井康隆の小説(1967)、大林宣彦監督の映画(1983)、そして細田守のアニメ(2006)である。先日テレビ放映していたのをDVD録画していたのを見ながら、不思議な感覚に捉われました。筒井や大林の時代にはビデオさえなく、映画は一度みるとテレビ放映か名画座でしか鑑賞できないものでした。大林の映画はメルヘンで描かれた、取り戻せない過去へのセンチメンタルに彩られています。アニメ版では過去は気楽に行き来できるまでに格下げされています。主人公は実にくだらない理由で過去に戻ってやりなおすのですが、自分の不幸を防いだことで他人が不幸になる現実に出会います。最初に主人公は電車に轢かれて死んでいたはずでした。偶然得た能力で難を免れますが、そのため友人が逆に事故に巻き込まれそうになる。本物の未来からきたタイムトラベラーによって事故はさけられますが、そのために彼は未来に帰れなくなったしまう。この事故の場面が繰り返しでてくるのですが、事故も偶然起こってしまう出来事で、避けられたのに避けられなかった痛みがあります。事故は誰が起こってもおかしくないのに、その事故の現場は、事故前も事故後もなにごともないかのように存在している。

筒井の小説が角川文庫に収録されたのは1976年。筒井が不条理小説ではなく、ウエルメイドな作品で、当時、ジュニア向きのSF小説がたくさんでていていました。青春小説をSFの設定で描くのは、青春が仮想現実として受け入れざるえない環境だったからです。筒井の小説は高校生の日常生活のなかにタイムトラベルをもちこんで、大きな歴史を描いていません。未来からきた少年は、この時代は未来にくらべて生活しやすくすばらしい、といいます。未来は希望ではなく、恋愛は得たとおもったら失われるほかない。

40年後の未来に、いま生きている僕が、新作のアニメをDVDで見ている。ここでは過去が取替え可能なもので、いま生きているのは偶然の産物にすぎないという感覚が広がっています。未来の少年を助けるために、作品の最初の日にもどることで、まだ来ていない未来が思い出になり、新しくはじまった未来は偶然にゆだねられるのです。

2007年8月13日 (月)

犯罪者永山則夫からの報告

同じころに地方から東京にでてきた永山則夫と中上健次は新宿のジャズ喫茶に出入りしており、中上は永山則夫の連続殺人事件(1968)について長文の批評を書いている。当時強い印象を受けました。事件を自分とひきつけてみる方法は大胆で、高校生の僕にはなじみのない思考でした。文学の力はすごいな、作家というのはなんと強靭でかつ繊細な感受性を持つものなのかと思いました。内部の人間に対して永山を外部の人間であるといっています。また、連続という運動にひかれています。永山という犯行そのもの、連続殺人そのもののありようを捉えようとしています。

当時、永山の「無知の涙」(1971)が文庫化されていましたのでさっそく読みました。殺人者の手記が出版されていること自体も驚きでしたが、事件時に読み書きが不自由な19歳の少年が、収監後に本を読むことで独学で文字を習得して、貧困と無知による犯罪だったとしています。中上はこのエッセイを批判しています。文字の獲得によって、文学という内部におさまることががまんならいようです。1968年の全共闘運動が、大学生という地方から都市にやってきた青年たちによる祝祭であるとするなら、その裏側に中学・高校を卒業して集団就職してきた青年の鬱屈した精神が犯罪にいたることがあった。中上は「灰色のコカ・コーラ」という小説を、その新宿のジャズ喫茶を舞台に書いています。中上は一方で偽学生として学生運動にも関わっている。地方から都市に大量の人間が移動した1960年代は、鬱屈した精神を発散する場所を求めていました。

2007年8月11日 (土)

紀州 木の国・根の国物語

1978年発表のルポルタージュ「紀州」は、中上健次が紀伊半島の各地を回りながら、差別・被差別の問題をあぶりだしていきます。この時点では中上はまだ自分が被差別部落民であるとは公表していませんでした。中上は被差別者の立場にたって差別を告発することをしていません。1970年代には紀伊半島にも都市化・近代化の波が打ち寄せてきます。道路整備や家屋の建替えがすすみ、健全な市民生活・市民社会が成立するはずだと疑いなく思われていました。しかし、事実はうわべの現象ではわかりません。中上は紀伊半島の土地・土地を車で回りながら、いきつもどりつの思考の蛇行をくりかえします。小説家による国家論・文化論である三島由紀夫の「文化防衛論」(1969)や谷崎潤一郎の「陰影礼賛」(1933)のような作家に統御された論理ではなく、地を這うようにいきる個々人と土地の事実につきあたっています。

あれから30年後に、紀伊半島は高速道路は大阪からみなべまで伸びている。今年中には田辺までつながりという。中辺路ルートの国道311号は本宮までの道路は改良されている。国道42号の日置からすさみ間はトンネルが通った。市町村の合併で龍神から本宮まで田辺市に合併された。新宮にも田辺にも郊外に大型スーパーが進出して、中心街は空洞化している。熊野古道が世界遺産に登録されて、観光客は増加しています。

1970年代に進行していた土地開発という危機が、路地の世界の発見につながり、その路地はすでに消滅の過程に入っていた。だから、紀伊半島を移動しながら、神武東征の神話から戦国時代の雑貨一族の敗北、大逆事件の敗北と、歴史を呼び覚まし、差別が物語の構造そのもであるという事実に突き当たることになる。差別は国家による暴力装置であり、それを支持するのは国民自身でもある。

2007年8月 9日 (木)

路地の世界

和歌山県新宮市の作家が芥川賞を受賞したことは知っていたけれど、あまり関心がなかったのが現代文学を何冊か読んだ勢いで「岬」と「枯木灘」を読んで衝撃を受けます。1976年芥川賞受賞作の「岬」は普通に面白い小説でしたが、1977年に出版された続編の「枯木灘」を読んで小説の世界というのはとてつもなくすごいものなのかと思いました。それからは過去の中上健次の本をすべて読んで、文芸雑誌で名前を見つけると読むようになります。

「枯木灘」の単行本には和歌山県の地図と主人公の秋幸を中心とした複雑な血縁関係が記された冊子が入っています。地図も家計図も、全体を俯瞰する視点からは便利なものですが、作品自体には全体を俯瞰する普遍的な視点はありません。普遍的な視点、神の視点、超越的な視点がないということは、個人はばらばらに存在しているということです。ばらばらに存在している個人は路地の世界でのみつながっています。路地の世界では個人の情報は生れてから死ぬまで筒抜けで、過去に起こった出来事はみんなに知られているのです。ここには友情や恋愛はありません。これは日本の農村共同体と同じ世界ですが、路地の世界は閉じた社会ではなく、情報や意味の吹き溜まりであり、うわさは嘘を含み、絶えず書き換えが行われています。複数の主観性が肯定されているのが路地の世界なのです。

この路地を焼き払おうとするのが、秋幸の父親です。この時代は田中角栄の日本列島改造によって土地の転売が進みます。田中角栄はその意味では「蝿の王」です。ロッキード事件で逮捕されたのが1976年ですが、日本列島改造は行き続けて1980年代後半のバブル帝国にまで至ります。秋幸もまた父親を殺そうとしますが、果たせませんでした。秋幸は土方をしています。つまり路地を殺す側にいるのは主人公自身なのです。

2007年8月 8日 (水)

限りなく透明に近いブルー

1978年頃、1976年芥川賞受賞の村上龍の「限りなく透明に近いブルー」がちょうど文庫化されたので早速買って読みました。これは性描写が過激だという評判で話題になっていたものです。ロック・ドラッグ・セックスの描写が続くのですが、心理描写がなくてまったく隠微なところがない、不思議な読書体験でした。アメリカ軍兵士とヒッピー化した日本女性たちと主人公のリューとの乱交パーティーがスポーツの運動のように描写されます。ベトナム戦争にいくアメリカの若者と、基地を提供する日本の若者が、ユース・カルチャーを通して交じり合っていく。ここでは、日本とアメリカの政治関係が、メタファーとして描くのではなく、基地という日本に突き刺さったアメリカを拒否しながら、一方でアメリカン・カルチャーは受け入れるというありかたは、心理的に処理できる状況ではなく、マゾヒスティックに受け止めざるをえないのである。この小説は日本の現実がなにであるかを示している点が、心理的な抵抗を生みました。1969年の佐世保への米軍艦隊の寄港反対運動を高校生で体験した村上は、反対運動そのものを自己反省もなく、肯定しています。それは学生運動を否定的にしか回想できない全共闘世代とは異質なものです。

1970年代後半に地方都市の高校生である僕は、村上龍によって洋楽・ロックを聴くようになります。

2007年8月 6日 (月)

芥川賞作品と出会う

1978年に高校入学して、初めて芥川賞受賞作品を読みました。同年受賞の高橋三千綱の「九月の空」と前年受賞の三田誠広の「僕って何」です。単行本を買ったのは初めてです。「九月の空」は剣道に打ち込む高校生を主人公にした青春小説で、「僕って何」は全共闘運動に巻き込まれた大学生を主人公にした青春小説です。中学の時は推理小説しか読んでなかったし、純文学は敬遠していたのですが、学生を主人公にした2作品とも共感しやすくて惹かれました。江戸川乱歩賞の小峰元の「アルキメデスは手を汚さない」(1973)や栗本薫の「ぼくらの時代」(1978)のような学園青春ものを読んでいたので、同じような感覚で読めました。ただの印象ですが、1970年代に入ってから学生を主人公にした青春小説が増えたような気がします。ぼくが好んで読んだせいかもしれませんが。

特に「僕って何」は1968年の学生運動を背景に描いていて興味をひきましたが、主人公は学生運動に関わっているにもかかわらず、運動自体を否定的に描いているわけです。1968年の運動を肯定的に捉える視点は2000年に入るまで日本ではなかったように思います。1970年代は全共闘世代は就職転向して体制に順応していましたので、運動自体を肯定的に描くことはできませんでした。実際、1970年代の学生運動は内ゲバを繰り返していましたので、とても肯定できるものではありません。だから「僕って何」は1968年を描いているのではなく、1970年代からシニカルに振り返って書かれたように読めます。1968年の運動を世界的なシステム変動として捉えるウォーラスティンのような視点がないので、「僕とはいったい何者なのだろう」という自分探しの物語になっています。「九月の空」も自己鍛錬する若者を描いています。

それに比べると栗本薫の「ぼくらの時代」のほうが、アイドル歌手に夢中になる女性とその自殺の手伝いをする主人公の大学生を描いていて、1970年代の時代の屈折を掘り起こしているようにおもいます。芥川賞のほうが通俗的な青春小説で、江戸川乱歩賞のほうが時代と社会に触れているということだったと思います。

2007年8月 4日 (土)

岸信介と田中角栄の亡霊

参議院選挙中に新潟を震度6の地震が起こり、柏崎原発が被災して火災が発生、消火活動の不手際や活断層の予測の甘さなどが指摘されて、操業開始の目処はつきそうにないらしい。また自動車部品工場の理研が被災し、日産・トヨタなどへの部品供給に影響がでているとのことです。参議院選挙で小沢一郎が地方重視の姿勢を打ち出し、選挙応援演説を人口のすくない農村部で繰り返す姿がニュースになり、選挙後、中曽根康弘元首相は毛沢東の「農村が地方を包囲する」戦術を思わせると発言したようです。

これらのニュースから田中角栄の亡霊が徘徊しているかのように感じます。

田中角栄が頭角をあらわしたのは、理研の大河内正敏に気に入られ、満州の工場建設で奔走したことから、巨額の富を得たといわれています。田中角栄は1970年代に高速道路の整備とエレルギーの安定供給のためにダム建設と原子力発電所の誘致を行います。柏崎が原発銀座とよばれる影に田中角栄の存在があります。道路公団にメスを入れたのが小泉純一郎前首相で、脱ダム宣言をしたのが前長野県知事の田中康夫で今回の選挙で新党日本の党首としてひとり当選しました。地震によって原発の一部が稼動できなくなり、安全性と公開性が追求されています。

1960年の日米安保の締結と引き換えに、岸信介のアメリカからの独立性と軍事路線は敗北します。かわって田中角栄の軽武装での経済性重視の路線が成功します。岸と田中は満州の国家運営と戦時体制によってつながっていたわけです。安倍晋三首相は岸路線に引き戻すべく登場しましたが、小沢一郎の田中路線(地方重視)によって一敗地を喫したかたちになります。岸路線対田中路線の対決がいまはじまったのかもしれませんが、その根底には戦前の総力体制がそのまま生き残るかどうかの戦いにあります。

2007年8月 3日 (金)

安倍晋三首相の決断

先の参議院選挙で大敗しましたが、続投を表明しています。マックス・ウェーバーは「職業としての政治」で、政治家は国家が暴力の行使であることを認識して、そうした一切の結果を引き受けなければならないといっています。「美しい国」を標榜する安倍首相には国家が暴力であるという認識はありえないらしい。国家は国民を守るために存在するのであって、暴力であることなどありえない。そこには、どんな立法行為も暴力であるという畏れ慄きがない。国民のためにしているのだから。そういう考えは安倍首相だけのものではない。日本国民自身のものであります。

安倍の先祖は、源平合戦で平家側で戦い、落人となって山口県に隠れ住んだといいます。山口県は長州藩で明治維新の中心です。維新前には下関事件でイギリス艦隊に大砲で攻撃して攘夷を決行しますが、欧米の軍事力の強さに国家の近代化が急務と悟り、尊王派に転向します。長州出身の伊藤博文、山県有朋は近代国家の基礎をつくった首相であり、戦後の国家をデザインしたのは山口県から首相になった岸信介と佐藤栄作の兄弟です。1940年代の満州を国家の総力体制にデザインした官僚の岸信介は安倍晋三の母方の祖父で、父方の祖父には国家総動員法に反対した安倍寛が存在します。

安倍首相がこだわる岸信介が満州を実験場に戦時経済体制を作り、それは戦後そのまま生き残り、戦後の高度経済成長を軌道に乗せました。戦前の軍事国家は戦後の経済国家に姿を変えましたが、国民のメンタリティは同じです。政治体制がかわろうが、憲法がかわろうが、国民が主権をもとうが、国民の意思は変わりません。1960年の安保闘争は日米安全保障条約が是か非かが問われたのではなく、岸の政治手法が「民主か独裁か」が問われました。同じように安倍首相の掲げる政策が是か非かが問われたのではありませんでした。真の「戦後レジームからの脱却」は戦前から続く国家の総力体制からの脱却以外にありません。父の安倍晋太郎が尊敬していた安倍寛のほうを見習うべきなのです。

2007年8月 2日 (木)

阿久悠の時代

昨日、作詞家阿久悠氏が亡くなられました。先日NHKの番組で1970年代の歌謡曲を批評する番組にゲスト出演したのを見ましたが、好々爺した姿に懐かしく、僕の小学生から高校生までの歌謡曲黄金時代が阿久悠ぬきにはありえなかったのを確認しました。その番組で阿久は「歌謡曲は映画的、Jポップはブログ的だ」と言ってました。歌謡曲は自分の感情ではなく世の中や他人の為にあったのに、Jポップは自分のことばかり歌っているということです。

1970年代の日本は田中角栄が推し進める「列島改造」で、国土が投機の対象になると同時に地方の土地の神々の世界が破壊されていく端緒になりました。国土の神々が殺されたように、人間の身体の魂が殺害されていきます。1972年大衆消費社会がもう「どうにもとまらない」(山本リンダ)時代に突入します。1978年「モンスター」のピンク・レディーは歌謡曲を幼稚化し、子供の世界にエロスをもちこみ、1977年「勝手にしやがれ」の沢田研二は性の多様性を開発します。1975年「北の宿」で都はるみは「あなた変りはないですか」と変っていく日本の国土を歌い、1980年「雨の慕情」で八代亜紀は「あめ、あめふれふれ」と怒る大地に祈る巫女になる、七転八倒の1970年代をまるごと捕まえようとしたのが阿久悠だったのです。

あらゆる価値紊乱を促し、女も男も子供も大人も、土地と身体性を失っていく時代だったのです。

2007年8月 1日 (水)

宮崎駿の1970年代

1968年の「太陽の王子 ホルスの大冒険」を1975年頃にテレビ放映で見まして、とても興奮したのを覚えています。宮崎は場面設定で関わっているようです。監督はぼくが嫌いな「火垂るの墓」や「おもひでぽろぽろ」や「平成狸合戦ぽんぽこ」を撮った高畑勲。嫌いな理由は説教くさいからです。でも「ホルス」はすばらしいと思います。北欧を舞台に村落共同体が魔女の侵略を受けたときに村人はみずから立ち上がり反撃に成功します。黒澤明の「七人の侍」は農民が傭兵を金をだして雇うのにくらべても、テーマが民衆の自立と連帯にあることは明確です。1968年という学生の叛乱の季節に、あくまで職人や生活者の戦いが前面にでています。「カムイ伝」と双璧です。

「ルパン三世」(1971)「アルプスの少女ハイジ」(1974)「母をたずねて三千里」(1976)にも相当かかわっているようです。みんな好きな作品で再放送のたびに見ていました。1970年代のシニカルでペシミスティックな状況の中で、どこにも回収されない肯定性にあふれています。ルパンをニヒルに描いてもおかしくない設定にもかかわらず、陽気で愉快な人物に描き、孤児のハイジを陰気に描いてもおかしくないのに活発な少女に描き、イタリアからアルゼンチンに母親を探しにいく少年を負けん気の強い少年に描いています。3作品とも原作はもっと否定的な主人公だと思います。そうしたほうが文学的に描きやすいし、作品に重さがでるはずですが、3作品ともに明確な主題があります。

1978年の「未来少年コナン」と1979年の「ルパン三世 カリオストロの城」で宮崎駿は強烈な作家として登場します。高校1年・2年の時です。両方とも、現実には不可能な身体能力でジャンプしたり、落下したりするアニメ表現が随所にでてきます。そのことで後に論争にもなったようですが、この時はじめてアニメーションという身体移動を純粋に追及した作品が生れたことのほうが重要です。アニメはこのとき現実の重力からはじめて解き放たれたのです。

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