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2007年7月

2007年7月30日 (月)

参議院選自民党予想外な大敗

事前の予想では、自民党は議席を減らしても、それほどひどい負けはないかと思われていたが、昨日の選挙の結果は予想以上に負けたように思えた。考えてみると、小泉首相の昨年の郵政解散選挙の時も、選挙開始時にはむしろ民主党のほうが有利にみえたのに、結果は自民党の圧勝だった。こうした雪崩現象は、選挙がかかえる根本的な問題を示しているように思う。代表するもの(代議士)と代表されるもの(選挙民)の不安定性である。もともと、自民党は地方や中小企業、土建業などを代表する政党であるかのようにふるまっていたが、小泉内閣の登場によって、市場原理主義を重視する政策に舵をきり、都市型の政党に近づきました。一方、民主党は公正なルールや原理を、古い利権構造にかえるべきだとする政策を掲げていましたが、小泉の市場主義導入によって、改革に抵抗する勢力だと見えてしまうようになりました。今回、民主党の小沢党首は、自民党の変質を逆手にとって、地方重視、弱者重視をアピールして票を集めたように思えます。

選挙する国民は、もうかつてのように、目に見える存在からそのときそのときの情勢で動きを変える無秩序な存在になりつつあります。選挙結果に驚くのは選挙した国民自らになりつつある。国際競争力のある大企業を維持しながら、同時に、不公正な利権を手放さない企業や官公庁を公正なルールの競争に改造し、独立自営業者の育成を促し、地方の弱小企業や農民を保護する。そういう互いに矛盾する競争と保護を明確にするプランがもとめられているが、政策が一方にかたよりがちな政党には、大量に票が移動するだけに終わってしまう。しかし、代表するものと代表されるものの不一致にこそ希望があるのかもしれません。すべてを代表することなど不可能ですし、むしろ危険です。小泉がすべてを代表している幻想をつくり、多くの共感を得ましたが、むしろ、できることとできないことを明確にするほうが、未来に希望がもてるからです。

2007年7月28日 (土)

松本零士の1970年代

コミックは1977年から始まった「銀河鉄道999」と1978年の「大純情君」、テレビは1978年放映の「宇宙海賊キャプテンハーロック」、映画は1979年公開の「銀河鉄道999」と、この時期の松本零士は飛ぶ鳥を落とす勢いでした。僕が中学3年から高校2年までの時期にあたります。

1970年代の前半には「男おいどん」のような4畳半の古アパートでアルバイトでしのぐ青年(元祖フリーターか?)を独特なペーソスで描いていたものが、「宇宙戦艦ヤマト」のヒット以後、壮大な宇宙空間を舞台に描くようになる。「大純情君」は4畳半の主人公の部屋が宇宙空間がつながっているという設定で、現在のセカイ系に似ているように思う。孤独な青年の妄想が世界の環境とつながっている。「銀河鉄道999」も「キャプテンハーロック」もどこか孤独な青年の誇大妄想的な雰囲気が漂っている。

「キャプテンハーロック」は未来の地球人は平和になれて怠惰な生活を送っている。宇宙からの侵略がはじまろうとしているのに地球防衛軍は動こうとしない。海賊ハーロックは地球人のためではなく、自分自身の自由を守る為に戦う決意をした戦友たちとアルカディア号で戦うのである。1970年代には戦争の大儀も革命の理想も信じられなくなっていた。戦う理由は個々の自由を守る為以外には見出せなくなっていた。それぞれに価値観も生き方も異なっていても、個人の自由を守るためにだけ連帯する。そして、戦いが終われば、戦闘集団を解散して、個々人の日常に帰っていくのである。

「銀河鉄道999」は人間を機械化して永遠の生命を得ようとする裕福な人々と機械を手に入れない貧民との未来社会を描いている。永遠の生命という安眠をむさぼる人間にたいする批判がこめられている。松本にとって戦う気概をなくした人間こそが、真の敵なのである。1970年代に達成した日本の福祉社会が寓意されていたのである。

2007年7月26日 (木)

少女マンガの1970年代

萩尾望都の「トーマの心臓」(1974)、山岸涼子の「天人唐草」(1980)、大島弓子の「F式欄丸」(1976)、竹宮恵子の「風と木の詩」(1976~)、木原敏江の「摩利と新吾」(1977~)、池田理代子の「オルフェウスの窓」(1975~)。少女マンガといっても、ぼくがひかれたのは上記の作家ものだけなのですが、中学・高校生のころに夢中になった記憶があります。なぜでしょか?

絶対的な少年性の表現がこの時代の少女マンガの一部にはありました。当時、稲垣足穂の「少年愛の美学」が文庫本で読めましたが、P感覚とV感覚から逸脱したA感覚の少年性とでもいうべき未来派の表現が、転移したかのようです。日本の旧制高校を舞台にした「摩利と新吾」は大正教養主義のバンカラと自由主義の精神が、「オルフェウスの窓」は第一次世界大戦からロシア革命に至る時代に革命の精神が、男女の恋愛ドラマではなく、少年たちのナルシズムの世界として描かれています。「風と木の詩」では19世紀末のフランスの寄宿舎を舞台に同姓愛が描かれているが、少年たちのマゾヒズムの世はがジャン・コクトーの第一次大戦後を描いた「恐るべき子供たち」を思わせます。

「トーマの心臓」はヘルマン・ヘッセの「ダミアン」を思わせるグノーシス主義の精神が転移したかのようです。ヘッセは第一次世界大戦直後にこの小説を発表して、ヨーロッパ世界の崩壊の感覚が色濃く反映していますが、この小説はアメリカで1960年代後半のアメリカ反戦運動の高揚のなかで、若者に強く支持されたようです。グノーシス主義はキリスト教の異端思想で、この世界を悪の世界としてみるものです。「トーマの心臓」では知性のある少年が上級生が誘惑する悪魔主義にはまりながらも、そこから抜け出すまでを、絶対的な、精神的な世界として描いています。「天人唐草」は日常にひそむ狂気を神話世界として描いています。精神の崩壊の恐怖が普通の日常の対人関係のなかにひそんでいることを明らかにします。神話のユング的な解釈が取り込まれています。「F式蘭丸」のFはフロイトのことですが、夢を抑圧された願望とみるフロイトと決別したユングは、第一次大戦後に、夢がなぜ起こるのかではなく、何のために起こるのかと問う。無意識を人間の創造力と結びつけて、積極的に評価するのである。

この時期の少女マンガはなぜか第一次大戦後にヨーロッパ世界で起こったことが、反復されているように思う。近代的な世界観と個人の崩壊が、コクトーやヘッセの文学を生み、同性愛や少年愛に引き寄せられ、グノーシス主義やユング思想がもとめられたように、1970年代の少女マンガの世界で同じようなことが起こったのである。

2007年7月24日 (火)

楳図かずおの1970年代

1972年から1974年の「漂流教室」は小学校の校舎が先生と子供たちとともに荒れ果てた未来に漂流するマンガですが、「ドラえもん」が現実と別の世界をどこでもドアがつないで行き来が可能な世界であるのに比べて、「漂流教室」の未来は現在とは時間の壁があって行き来はできない。現在の物が未来では古びた物として出現するのである。不可逆的な未来をえがく「漂流教室」は、現在も未来も人間が生きる条件に変わりがないことを教える。「ドラえもん」が日常の現実に帰ってくることで、安心して見れる教育的なマンガであるとすると、「漂流教室」は残酷な不可逆的な未来を描くことで、そこにつながる現在の日常自体が恐怖であることを告げている。

1976年から1981年の「まことちゃん」は、幼稚園児の動物的な行動をアナーキーに描いている。人間は動物であるという真理は、見たくない現実である。食事をする排便をするセックスをすることが動物である人間が日々していることである。「まことちゃん」は子供であること、動物であることを肯定するマンガである。子供の世界は、暴力と破壊が占拠する。無秩序で無感覚で無方向で無意味に崩壊している。そうした世界への絶望が逆説的に子供を自由にしているのである。誰もが子供のときはそうだったが、大人になるこで忘れていく。子供であることと大人であることはまったく非対称の世界である。子供であることは未来の可能性であると「まことちゃん」は示しています。

2007年7月23日 (月)

赤川次郎の時代

1976年赤川次郎は「幽霊列車」でデビューしましたが、ゴシック・ロマンス風に味付けされた上質のミステリーだった記憶がありますが、1978年に始まる「三毛猫ホームズ」シリーズによって、赤川次郎は時代の寵児になっていきます。シリーズ第一作「三毛猫ホームズの推理」は、内容から見たら、恐ろしくシリアスな作品です。女子大を舞台に女子大生が変質者に殺される事件が続き、やがて女子大のなかに売春グループが組織されていたことがわかる。それとは別に大学内の権力争いと汚職にからんで学部長が殺される事件が起こる。主人公の刑事の捜査の結果、捜査を助けてくれた明るい女子大生こそが、売春グループのボスであり、犯人は刑事が尊敬して慕う上司の警視であることがわかる・・・。同じ内容で深刻な社会派ミステリーに仕上げることもできるところを、恐ろしく能天気な語り口の形式で、ドタバタ喜劇調でラブ・コメディーであり、ご都合主義な推理展開になっているのです。松本清張をよしとする読者には受け付けないであろう展開が、中学・高校生を中心に爆発的に受け入れられていきました。

なぜ、でしょうか。デビュー作「幽霊列車」では、現実世界と空想世界には区別があって、現実世界と空想世界を行き来することで、ゴシック・ロランスが成立していたものが、「三毛猫ホームズ」では現実世界と空想世界は同じ地平にあって、空想したことが、そのまま現実であるような世界が成立しているのです。舞台となっている警察や学校は、本来空想的な場所ではない日常的な場所・散文的な場所にもかかわらず、メルヘンチックな場所として描かれます。女性恐怖症で、血が嫌いで、刑事を辞めたいと考えている主人公と理知的な妹の二人くらしという空想的な設定は、まんが・アニメになじんだ世代にはもっとも受け入れやすい舞台です。赤川次郎が画期的なのは、まんが・アニメと同じような視線を推理小説というリアリズムに持ち込んだところにあります。のちに「おたく」と呼ばれる世代は、赤川作品を受け入れた僕たちの世代から始まるといってよいでしょう。

2007年7月22日 (日)

1970年代の家族

1974年小坂明子の「あなた」がヒット。「もしもわたしが家を建てたなら」と平凡だけど愛し合う幸せな家族の歌が小学6年生の耳にもここちよく響いたものです。というわけで、1970年代は西洋風の一戸建てを郊外にもつニューファミリーが急増します。家族の未来は明るくみえたものですが、この世代の子供たちが1980年代に校内暴力の主役となってしまったのです。

同年、向田邦子脚本、久世光彦制作のテレビドラマ「寺内貫太郎一家」で毎回癇癪を起こす父親(小林亜星)とジュリー(沢田研二)ファンの祖母(樹木季林)と父親に反抗する息子(西城秀樹)が引き起こす騒動は、最後のがんこ親父というよりも家族がお互いわけがわからない存在になりつつあったことを喜劇化することで、かろうじて家族の絆を確認していたのかも。

1976年から萩本欽一の「欽ちゃんのどこまでやるの」でホームドラマ形式のバラエティが始まる。互いに相手のことを気遣う家族、なんでも話せる家族、笑いにつつまれた家族が仮構される。欽ちゃんファミリーは萩本欽一というたぐいまれなる気配りな父親抜きにはありえないのである。

1977年放映の山田太一脚本の「岸辺のアルバム」は家族の解体を初めてドラマ化した作品として有名です。父親(杉浦直樹)は会社人間で家族を省みず、母親(八千草薫)はさびしさから不倫に走り、娘(中田喜子)は男にいいようにされて捨てられるが、お互い何事もないかのように過ごしているのに嫌気がさした息子(国広富之)が爆発する。もはや家族がバラバラになってどうしようもなくなった時、大雨で多摩川が増水して家屋が流されてしまう。呆然とする家族が家屋の跡地にいくと、一冊の家族アルバムだけが残され、楽しかったころの笑顔の家族写真を見つけ、もう一度家族をやり直す気持ちになる。このころから、家庭内暴力や不倫や過労死にいたる仕事中毒や受験競争の行過ぎが社会問題化します。さまざまな矛盾が家族のなかで噴出し始めたのです。

1978年ジョージ秋山原作、倉本聰脚本の「浮浪雲」は幕末を舞台に、勉学にいそしむ一人息子と奥さん(桃井かおり)に商売をまかせてふらふら遊び父親(渡哲也)のとぼけた関係をユーモアに描く。渡哲也はすごうでの剣の達人で、いざという時には弱者を助ける正義感の持ち主として描かれている。幕末の時代にこれからは学問が国を動かす力になるという理想をもった息子は、父親を表面上は時代おくれとくさすが、内心ではその倫理感と行動力を尊敬している。

1979年、円地文子の小説「食卓のない家」は1972年におこった連合赤軍事件の犯人の父親を主人公とした小説です。息子が犯した犯罪は息子の責任であるので謝罪はしないことを貫くがゆえに、妻が病気になり、娘の結婚が中止になる。実際には親が謝罪しても、親が職を失ったり、自殺したり、一家離散になる場合が多い。この小説は、逆に子供は子供で親とは関係がないという態度を貫く父親を描いていますが、現実には存在しません。円地文子は、日本社会ではありえない父親を描くことで、日本社会のありようを告発し、そういう親が出現することに希望を託したのです。現実には、家族に責任をとらせる風潮は強まるばかりです。

1980年「イエスの方舟事件」はそもそもメディアが作り出したものですが、それぞれの家庭の事情で家族を離れた若い娘たちが、ひとりの教祖(おっちゃんと呼ばれていた)を慕って、擬似家族のような生活をしていた。解体する家族から孤立した子供たちが求める先に宗教があらわれます。

同年、「金属バット両親殺人事件」発生。両親を予備校生が金属バットで殺害する事件が発生。1983年写真家藤原新也は写真集「東京漂流」で殺人現場の郊外の家屋と死体が道端にころがるインドの風景を対比して写真に収める。このころから、本当の生の実感を求めてインドに行く若者が増えていきます。海外に行けない者はオウム真理教のような修行系の宗教にひかれはじめたのです。

2007年7月21日 (土)

虚無への供物

1964年作中井英夫の「虚無への供物」は、1974年文庫化されています。「ドグラ・マグラ」と前後して読んで興奮しました。この小説はラストで、この探偵小説を娯楽として喜んでいる読者に対する告発がされていて、実際、この小説は探偵小説批判として書かれています。探偵小説を読む読者諸君(大衆)こそ、現実の犯罪を作り出しているのではないか、という問いかけがなされます。しかし、いうまでもなく、読者は反省しません。虚無とはそういう読者(大衆)の中身のなさ、犯罪を楽しむ空洞を指しています。この作品自体がそういう読者(大衆)への供物になっています。

この小説が文庫化されたころからむしろ犯罪をエンターテイメントとして推理する態度が増えていきます。患者を診察もしないでいいかげんな推理を披露する精神家医や断片的な情報で犯人像を推理する犯罪の専門家たちがこの小説は倫理的に批判しています。事故死であるにもかかわらず、4人の素人探偵が推理を競い、4通りの犯人を見つけてしまう。そんな小説のなかの出来事が、現実に日々行われています。我々は犯罪をエンターテイメントとして待ち望んでいる怪物なのである。中井英夫がこの小説以外に探偵小説を書いていないことにストイックな倫理性を感じることができます。我々自身が自分のなかの虚無に気づく必要があるのです。

2007年7月20日 (金)

ドグラ・マグラ

1935年作の夢野久作「ドグラ・マグラ」を読んだのはたぶん高校受験が終わった1978年の春だったと思う。この小説は1960年代末の全共闘運動の時に、反近代・土着のブームの中で再評価されたものが、1970年代中頃に文庫化されて、中学生の僕にも気楽に買えるようになったのでしょう。一読後、スケールの大きさ、実験精神に驚嘆してしまいました。1930年代という時代は、マルクス主義者は逮捕・転向を余儀なくされ、満州事変でアジア主義が現実のものとなり、軍部が独走する帝国主義がきわまり、近代主義・自由主義者は息をひそめるというような時代です。

「ドグラ・マグラ」の世界は一言でいうと独我論的な世界だと思います。精神病院を舞台にして記憶喪失になった<わたし>が、医師と患者の非対称的な関係のなかで、自分が何者なのか、なにが真実でなにが虚偽なのかわからない世界に閉じ込められている。あやしげな学術論文やパンフレット、インタビュー記事、遺言書などによって現実に起こったことのの手がかりになっているが、その資料自体が偽造されたものでないとの保証はない。この世界では絶対的な真理はそのまま絶対的な虚偽に転化するメビウスの輪で構成されているので、<わたし>は<現実>を喪失していくほかないのです。これは1930年代の日本の現実の状況そのままではないでしょうか。この時期を代表する哲学者の西田幾多郎は絶対無を基底にした絶対矛盾的自己同一性の世界を打ちたてましたが、ばらばらの個人がたがいに矛盾を維持しながら、全体を包摂する場所の論理はドグラ・マグラの世界と似通っています。

同時期にアインシュタインの相対性理論は日本でもブームになりましたが、それは我々がよく知っていると思っている現実が、本当の現実ではないという衝撃があったからでしょう。実感では天動説なのに、現実は地動説であるということを知ったときの驚きは、我々の認識では、現実そのものを捉えられない。18世紀のコペルニクス的転回が改めて、1930年代に問われたのです。そこから、「世界はすべて私の幻想ではないか」という独我論に陥るのである。1970年代の日本は1930年代の日本にくらべて、帝国主義もアジアア主義もなく、戦争も革命もない、密室化した近代主義だけが広がる時代に、「ドグラ・マグラ」は不可知論的なニヒリズムをもたらしたのです。

2007年7月18日 (水)

本宮ひろ志の1970年代

1968年から1973年まで連載された「男一匹ガキ大将」は全共闘運動の高揚から終息までの時期にあたります。本当は主人公の万吉が全国の不良少年の親分になった時点で終了したかったようですが、その後の苦しい展開のなかに1970年代という時代の閉塞があります。万吉は大物の経営者に気に入られて巨大企業を引き継ぐが、アラブ・ゲリラが石油タンカーを攻撃して日本はエネルギーが絶たれて窮地に陥る。アメリカの外資が万吉の企業経営の譲渡と引き換えに石油を用意すると申し出るが、万吉は拒否する。日本の世論の非難を浴びながら独自にアラブから石油を買い付けて日本に運ぼうとする。やがてすべてはアメリカ外資の陰謀だったことがわかり難局を切り抜ける。その後の展開は、さらに苦渋に満ちている。外国に遊学している間に、会社と子分たちが、北海道独立の理想をかかげる若者にのっとられていた。理想の社会、北海道コミューンをつくる若者に万吉ははじめて自分より強い大志を持った人間の存在を知って、敗北を感じるが、男の意地から若者に敵対する。結果的に、若者は政府の革新官僚にあやつられていたにすぎないことがわかって、コミューンは崩壊してしまう。政治に舞台を移した後半が、アメリカ資本との敵対関係と満州国殖民地化を思わせる北海道独立であったことは、日本人の無意識のなかに第二次世界大戦の蹉跌が埋め込まれていることを物語っている。

本宮ひろ志は1974年から1976年に「大ぼら一代」で日本の政治と権力をテーマにしている。日本にファシズム的権力が大衆の圧倒的支持を受けて誕生する。かつて全国の番長を統合することに成功した彼は、平和にだらけきった日本社会を改革すべく、選挙で合法的に日本を支配する。経済的に繁栄した日本社会を外国に売り渡して、根本的に改革するファシストの登場に日本社会は壊滅的な状態に陥り、警察権力による大量粛清の嵐が吹き荒れる。ゲリラ的に対向する主人公たちは、かろうじてファシストの暗殺に成功するが、国土は荒れ果て戦争直後の焼け野原のようになっていた。このマンガがたぶんあまり話題にならなかったと思いますが、中学生の僕にはリアリティがありました。1973年に小松左京が「日本沈没」で話題をさらったのは、平和と繁栄を謳歌する日本社会に対する無意識的な破壊願望があったのではないでしょうか。オイル・ショックやドル・ショック、アメリカのベトナム敗戦の影響、ローマクラブによる石油枯渇の予想というぐあいに、日本の平和と繁栄は長く続くはずがないことを、サブカルチャーの世界は敏感に受け止めていたのです。

1977年から始まる「俺の空」の主人公は巨大コンツェルンの御曹司で、通過儀礼としての女性遍歴の旅に出る物語です。もはや日本経済の達成は疑いがなく、人間的な成長が女性体験を重ねることで成し遂げられるまでに変貌しています。巨額な資金を動かせる立場で、正義の為に無頓着にお金を使う行為を通して、消費社会での蕩尽を繰り返し、しかし、主人公にお金に対する執着はなく、権力も望まない。巨大な権力と資金を利用できる立場にありながら、無私の精神が美徳とされるところに、かろうじて消費社会のヒーローを描くことができたのです。

2007年7月17日 (火)

本格探偵小説

1976年前後、中学生の僕にとって外国文学といえば、ハヤカワ文庫のミステリでした。アガサ・クリスティ、エラリー・クイーン、ヴァン・ダイン、クロフツを集中して読みました。これらの本格探偵小説は第一次世界大戦と第二次世界大戦の間、1920年代から1930年代にかけて書かれたものです。知的遊戯、ゲーム、パズルのような興奮を味わえる探偵小説は、世界的な危機の時代にうまれた産物だったのです。ひとことでいううと、純粋に形式化した犯罪小説だといえますが、犯人あてを最大の醍醐味にしています。この時代は、科学の分野ではアインシュタインの相対性理論とハイゼンベルグの不確定性原理が、数学の分野ではゲーデルの不完全性理論が、哲学ではヴィトゲンシュタインの論理哲学論考やフッサルの超越論的現象学が、文学ではフォルマリズムが登場して、世界を数学的に理論化するのと同時にその不可能性までがみえてきた時代です。政治の世界では代表するものと代表されるものが一致しない民主主義の危機がファシズムとして台頭する時代です。

以下の文章にはネタばらしがあるので注意してください。

この時代に本格探偵小説が大衆の娯楽として受け入れられたのは、自然主義的な、教養主義的な人間観を絶対的な世界戦争が破壊したからで、従来のリアリズムの見直しが文学の世界でも起こったのです。アガサ・クリスティの「アクロイド殺人事件」は語り手が実は犯人であるという問題作で、リアリズムではアンフェアーな試みですが、表現するものと表現されるものの亀裂が語り手が犯人であるということを可能にしたのです。「オリエント急行殺人事件」は列車に乗り合わせた全員が犯人であったという、これまた恐ろしい結論ですが、アメリカの富豪の子息が殺された復讐に、その富豪を慕う人々が参加するという共同謀議を探偵のポワロが見逃すというハートウオミングに見せかけたゲーム化した殺人事件になっています。また、エラリー・クイーンの「Yの悲劇」に、大人が書いた犯罪計画を子供が読んで実行するというものがありますが、動機が犯罪の計画書を読んだからというリアリズムでは考えにくいことがなされています。幻想小説や怪奇小説では悪魔や怪物がでるのはあらかじめ了解ずみなのに、探偵小説ではリアリズムのかまえをみせているがゆえに、ラストの犯人像に襲撃をうけるのです。

2007年7月16日 (月)

オカルトの帝国 1970年代の日本を読む

図書館で一柳廣孝が編集した「オカルトの帝国」を借りて読む。たまたま、僕のブログで1970年代を回想していたら、現代につながるオカルトブームが1970年代に始まっていたことを再確認することになった。僕はその原因が左翼思想の衰退にあると考えます。当初のオカルトは反権力的なサブカルチャーとして始まりましたが、いまや「民主主義の帝国」ともいえるアメリカ合衆国のブッシュ大統領がイラクを「悪の帝国」というオカルトまがいの論法で「テロとの戦争」を推進するリアル・ポリティクスを踏み外す事態にまでなった。その起源に1970年代のオカルトブームがあるわけです。宗教書や精神世界の出版物がベストセラーになるのも、政治からの逃避行動だった。かつて1970年代に左翼思想が根本的に批判されたように、オカルト・宗教・精神世界が批判されなければならない。そうした批判をとおしてしか、未来につながる左翼思想も宗教も発見できないのだから。

2007年7月15日 (日)

半村良の1970年代

筒井康隆と五木寛之と半村良が、中学生の僕がもっとも好きな日本の作家でした。1970年代に活躍した彼らは、全共闘運動以後の世界を、筒井は笑いに、五木はセンチメントに、半村はメランコリーに求めます。半村良の伝奇ロマンは、日本の権力の裏社会を舞台にします。1971年の「石の血脈」は建築と権力の結びつきをフリーメーソンから吸血鬼伝説までを結びつけます。不死の命を得る病原体はセックスを通して感染する。大量の人血を飲む必要があり、吸血鬼伝説が生れる。特権階級に食入ろうとする若手建築家を描いています。このころから、政治を裏の権力と結びつけたり、ユダヤ資本やアメリカの陰謀がまことしやかに語られ、歴史の裏で暗躍する魔術が、サブカルチャーやオカルト本として出版されていきます。「石の血脈」もそういう流れの中にある作品ですが、この小説がユニークなのは永遠の生命をもつ計画が終盤であっけなく頓挫してしまうところです。ここで半村は反権力としてオカルトを使っているわけです。左翼運動の挫折がオカルトとサブカルチャーのなかに入り込んだわけです。革命の展望がなくなった1970年代にオカルト的な思考が登場する必然があったのです。

1972年「産霊山秘録」では日本の歴史の読み換えを試みます。古代から天皇家を裏からささえるヒ一族が暗躍する伝奇ロマンです。明智光秀がヒ一族で織田信長が天皇家を滅ぼして日本の王になるのを防ぐために本能寺の変が起こったとか、坂本竜馬がヒ一族で日本を開国に導いたとか、天皇家がなぜ古代から現代に至るまで永続しているかという謎を偽史を通して解明しようとしている。アメリカが日本に存在する霊的エネルギーを奪おうとして果たせなかったとか、今振り返ると、荒唐無稽な物語には、現状を変えることができないエネルギーが歴史の書き換え、読み直しを通してありえたかもしれない別の日本の姿を想像していたのだといえます。半村良はこうした手法を用いて、天皇制とそれを利用する権力構造を批判しているのである。

2007年7月14日 (土)

五木寛之はどこへ行く

中学・高校時代1975年から1980年くらいまで、五木寛之の文庫本はかかさず買いました。朝鮮半島に移住した子供時代の体験は、加害者と被害者の両面があり、特に引き揚げ時の体験が壮絶で、絶望からの出発が五木文学の原点といえます。デラシネとは根無し草ではなく、根こぎであるというとき、強制的に移住をしいられた人々の側につくことの宣言なのである。

1967年作の「蒼ざめた馬を見よ」は、共産主義国のソ連であろうが、自由主義国のアメリカであろうが、国家の本質にかわりがないという醒めた認識をエンターテイメント化した作品です。そうした認識が戦争体験からきているのは明らかで、国家に利用され、見捨てられたことがイデオロギーに捉われない態度が身についているのである。しかし、僕たちが日本人であることは、生きている条件のようなもので、それを逃れることはできない以上、五木は単純な反国家主義者ではなく、ナショナリストである同時にインターナショナリストでもありうる道を模索します。しかも知識人としてではなく、民衆に手がとどくようなエンタテイメントとして表現しています。中学生の僕は五木寛之から、政治、国家、戦争、芸能、差別、歴史・・・すべてを学んだのである。

1974年作の「戒厳令の夜」を文庫本になった高校時代に読んで衝撃を受けました。1930年代のスペイン内戦と1973年のチリの軍事クーデターをつなぐ物語は、ファシズムに抗する人民戦線はいかにして可能かという問いがあり、1940年代に総力戦体制を完成した日本が戦後も官僚機構だけは解体されずに生き残った結果、「今後、世界はまちがいなく<戒厳令の時代>に属するようになるだろう」という予感とともに書かれている。そしてナショナリズムに抗する人民戦線の可能性を五木は、天皇族に征服された縄文人の末裔である海人に求める。それは、スペインに征服された先住民のインディオなどとの連帯を夢見る偽史的なロマンティシズムなのである。新幹線と高速道路が日本の国土をずたずたに引き裂いていたこの時代が、幻の一族にリアリティを与えていたのである。

しかし、オウム真理教がそうだったように、偽史的な想像力が最悪なかたちで利用されたことからもわかるように、倫理のない想像力の使用は危険な試みでもある。インディオやジプシーなどインターナショナルな視点がなければ、誇大妄想的な世界に陥るしかない。五木が1980年代以降に宗教の世界の探索に向かい、さらにスピリチュアルな世界に踏み込んでいるのをみるとき、ミイラとりがミイラになる危険を見極めながら、民衆のなかにおりていく宗教家の姿と重なるのである。

2007年7月12日 (木)

横溝正史ブーム

1975年頃から何年間か横溝正史の小説や映画が中高生のあいだでブームになります。戦争直後の地方の村社会を舞台に、旧家や血縁のドラマがおどろおどろしく語られる。僕は高木彬光の理知的な推理小説が好きだったので、なぜ横溝が流行るのか、よくわからなかった。映画の出来もすばらしいとは、とてもいえないものである。しかし、同時に見たくないが見たいという感覚があったことは確かである。世の中から貧困が見えにくくなり、国民の90%が中流意識をもったいた時代である。世界から闇が消え、差別に敏感になり、清潔志向が強くなり、地方の村がディスカバー・ジャパンの旅行対象となり、死が子供には見えなくなっていた。

横溝正史の小説と映画は、復員兵でも旧家のどろどろした人間関係も閉鎖的な村社会もフレームアップした記号化した世界であったから、見世物感覚で見ることができたのである。金田一耕助は探偵というよりも村の掟をさぐる民俗学者のようでもあり、実際彼は事件の進展を見守るばかりで止めることもできない。彼の仕事は過去の因縁を調べることに費やされる。過去の出来事が現在の事件の深層にあるという基本的な構図は、戦争や戦後をノスタルジックな対象になった1970年代後半の心象風景にふさわしかったのである。

2007年7月11日 (水)

毛沢東の死と宗教原理主義

1976年に毛沢東の死亡と四人組の逮捕のニュースが流れます。田中角栄逮捕と同じ年でした。中学2年生にしてみれば、よくわからないニュースだったわけですが、後年、毛沢東の文化大革命が毛沢東の権力闘争であり、その死によって四人組の失脚であったわけです。さらに文化大革命が恐ろしい粛清の嵐であったことが明らかになります。毛沢東主義が1968年の世界的な学生運動に影響を与えていたことを考えると、もはや左翼思想が新しい社会をつくる可能性はないように見えました。

ソ連のスターリン主義の内実が理想の社会と程遠いものであることがわかり、毛沢東の「矛盾論」がさまざまな矛盾を肯定しながら実践的にそのつどの運動を肯定する思想として第三世界に革命のモデルを提供していましたが、、第三世界では左翼思想にかわって宗教原理主義が台頭しはじめます。世界にさまざまな矛盾がある以上、それを解決する手段が左翼思想であれ右翼思想であれ宗教思想であれ、求められるほかないからである。

アメリカではトロツキスト(左翼思想)が転向してネオコン(新保守主義)が生まれ、ヒーピームブメントへの反省からキリスト教原理主義が勢力を伸ばします。日本ではオウム真理教(仏教原理主義)に魅かれる若者があらわれ、イスラム圏ではイスラム原理主義が社会変革の希望の原理として生れる。今から振り返ると、1970年代に左翼思想に希望が見出せなくなったことが、その後の世界の変動と危機をもたらしていたことがわかります。

2007年7月10日 (火)

カムイ伝

中学校の図書館に白土三平の「カムイ伝」が置いてあって、これを全巻読みきったときは、本当に大きな物語を読んだ充実感でいっぱいになりました。1964年から1971年まで「ガロ」で連載されたものです。1968年の全共闘運動時にはマルクス主義を理解するにはもっとも役立つマンガとしてもてはやされたのに、連載終了時には学生運動は沈滞して、「カムイ伝」も読まれなくなっていたといいます。それから5年後に中学生の僕は熱中したわけです。1960年の安保闘争を境にして労働運動は衰退していきます。高度成長は農村共同体を破壊していきます。そういう時代に「カムイ伝」は書きつがれていきます。

「カムイ伝」は江戸時代を舞台にしていますが、それは近代国家の前の封建制の時代にこそ、近代国家が隠蔽した暴力や差別の問題があからさまであるからです。江戸時代の幕藩体制は近代国家とはちがって分権的ですが、領主は年貢(国税)を「生かさぬよう殺さぬよう」収奪して、同時に農村共同体を保護する関係にあります。「カムイ伝」ではこの領主や幕府という国家のレベルと、貨幣経済が浸透する都市の商人のレベルと相互扶助的な農村共同体のレベルが錯綜しながら展開していきます。封建制は身分を固定化して差別を永続的なものにしていますが、国家が再分配を通して保護する役割をはたすことで封建システムが機能しています。都市部での商人資本の発達は、安く買って高く売るという資本の運動をもたらし、資本の蓄積をとおして封建社会を内部から解体していきます。相互扶助をもとにする農村共同体は、同時に村八分をする社会でもあり、「カムイ伝」では農村コミューンの実現と挫折として描かれます。

「カムイ伝」は国家や資本の暴力が描かれていますが、それが過去の物語ではなく、いまの時代も同じなのだという認識があるはずです。1970年代にはわからなかったが、戦争と不況を経験した1990年代には暴力の本質にかわりがないことに思い至るようになります。

2007年7月 8日 (日)

スピルバーグ映画の1970年代

1975年映画館で見た「ジョーズ」が中学1年の時で、1978年公開された「未知との遭遇」が高校1年の時です。1971年製作の「激突」と1974年の「続・激突カージャック」はテレビ放映された時にみています。1979年の「1941」はまったく面白くなかった記憶があります。1970年代のアメリカはベトナム敗戦やドル・ショックやオイル・ショックの影響でシニシズムが広がります。日本から見たアメリカも、1970年くらいまでは絶対的な存在であったものが、そうではなくなる。と同時にカルチャーとしてのアメリカニズムが日本社会の中に深く広く受け入れていくようになります。政治的にも経済的にも圧倒的に従属的な関係から、映画や音楽や小説を通して身近な存在になっていたのです。なかでもスピルバーグ映画はもっとも親しめる共感しやすい映画だったのです。

「激突」はさえない中年男性がタンクローリーを追い越したことがきっかけで、逆に付け回される恐怖を描いています。見えない他者が引き起こす恐怖は、ベトナム戦争の影響でしょか、追うものと追われるものの構図は以後もスピルバーグ映画のもっとも基本的な構図になります。しかも追われるものはヒーローではなく、かろうじて逃げ切れるだけなのです。

「続・激突カージャック」は1960年代のニューシネマっぽい展開ですが、違いは主人公がすこしもかっこよく描かれないところです。1969年の実話をモチーフに成り行きで警察に追われる若い男女は里子に出された子供を取り返すために、逃避行をするシニカルな映画です。

「ジョーズ」は海水浴客のシーズンに鮫の出現を明らかにしたくない市長と安全を重視する警察署長の対立が描かれていますが、市長の意見に従わざるをえません。サメを退治するヒーローであるべき海洋学者はあっさり殺され、警察署長はサメを退治することに成功しますが、サメが出現する前の日常に帰っていくだけです。

「未知との遭遇」は宇宙人との接近遭遇という国家プロジェクトを、さえない中年男性の目線で描く、非国家的な映画です。最後に宇宙船に招待されなければ、完全に妄想にとりつかれた哀れな人間にしかみえません。

「1941」はたぶんスピルバーグ作品のなかでもっとも評判が悪く、実際に笑えないギャグ映画です。第二次世界大戦をパロディにした非常にシニカルな笑いが、大仕掛けの映像で展開します。物語と映像がまったく乖離した非アメリカ的な映画です。

2007年7月 7日 (土)

宇宙戦艦ヤマトはレトロブームだった

1976年テレビアニメ「宇宙戦艦ヤマト」が中高生の間で話題をさらいます。中学2年の僕もすっかりはまってしまいました。戦後の日本を軍事的にも政治的にもイデオロギー的にも経済的にも大きく規定していたのはアメリカですが、1970年代も後半になるとベトナム敗戦の影響やアメリカ経済の低迷により、アメリカのヘゲモニーが低下します。1960年の安保闘争とその後の高度成長はアメリカの庇護のもとでのナショナリズムとナルシズムを満たしてくれました。1970年代後半から冷戦が終結する1980年代後半まで、現実にはアメリカの核の傘にまもられながら、平和と繁栄を手にする事ができたのです。

戦前の「天皇の国家」が、戦後は「アメリカの民主主義」に変わりましたが、1970年後半には「アメリカ」の超越性も薄れ、「民主主義」の理想も色あせた時に、日本人であることがそのまま地球市民であるような空疎な感覚が生まれます。1978年に始まる「愛は地球を救う」募金運動とか1982年の「文学者による反核声明」というような空疎な理念が広がります。1978年の映画「さらば宇宙戦艦ヤマト」では特攻精神が美化されるまでになりましたが、それは「天皇」や「国家」のために死ぬことは無意味だが、愛する人の為に死ぬことは尊いという感覚が受け入れられたのでした。新撰組から名前を借りたり、敵国をヒトラーに見立てたりして、歴史の適当な拝借は、歴史感覚を消去する働きをして、そもそも戦艦大和をレトロに引用できたことがブームの引き金になったのは、第二次世界大戦の記憶がレトロ(郷愁)な対象になったことを意味していました。

2007年7月 5日 (木)

ロッキード裁判

1976年田中角栄が贈収賄容疑で逮捕されます。その前に政商小佐野賢治が国会の証人喚問で「記憶にございません」を連発して、中学生の僕たちも授業中にまねするという状態でした。右翼の大物児玉誉士夫が登場したりして、田中逮捕にメディアも世論も興奮の絶頂になります。田中角栄は逮捕された後も政界の最大派閥を率いる最高実力者であるという事態が1985年竹下登の権力奪取まで続きます。その間、田中角栄の物まねがテレビで流行りました。

ロッキード事件は図らずも日本人の法意識の欠如を露呈しました。推定無罪の原則がメディアによって破られたことや証人への反対尋問ができないまま審理を裁判所が進めたことなど、罪刑法定主義がやぶられ、裁判が検察の証明が合理的がどうかを判断する場であるということも理解されていなっかたのです。こうした認識をもっていたのは小室直樹でした。

「日本列島改造論」は土地の高騰を招き、国土に空白と無(更地)を広げていきます。もはや、無方向で無秩序で雑多な欲望を肯定する社会が到来していたのです。いや、この世界こそユートピアだったのかもしれません。世界的には米ソ冷戦が安定した(永遠に続くかのような)秩序をもたらし、国内的には自民党と社会党の程よい対立が安定しており、経済的にはアメリカを目標に成長を続けていける。「ゆりかごから墓場まで」の福祉社会を実現して、終身雇用のもと、消費社会が欲望を満たしてくれるのですから。

2007年7月 4日 (水)

筒井康隆はすべてを笑う。

筒井康隆の小説は中学生の僕にとって、知的に興奮するものでした。政治であろうが、文学であろうが、宗教であろうが、権威的なものすべてを笑いのめす世界は痛快でした。しかし、もともと教養もなく世の中のことをよく知っているわけでもないのに、その対象を笑う権利だけを先に手にするのは、世の中にたいするシニシズム(冷笑主義)を産む土壌を育てます。1970年代に小学・中学・高校という時期を生きた僕たちにとって、読むべき本や見るべき映画や聴くべき音楽などはハナから存在せず、ただ雑多で混乱した状況だけがあったのです。筒井康隆ほどこの状況に似つかわしいものはありませんでした。

三島由紀夫が「仮面の告白」で自己が空っぽの器でしかないことを語り、その空虚を封印するために「天皇」や「国家」の秩序を必要にしたのに対して、太宰治は「マルクス主義」からの転向や「キリスト教」への裏切りをあえて選択することで弱い自分を仮構しました。しかし、筒井康隆にはもはや秩序も転向も裏切りもない、天皇も国家もマルクス主義もキリスト教も笑う対象でしかない「無意味の世界」があるだけでした。パロディやナンセンスだけがある世界は、対象となる権威がなくなると、もはや知的興奮もなく、1980年代以降はむしろ実験的文学の権威として認められるようになります。

2007年7月 3日 (火)

太宰治:文学は病である。

1976年中学2年(14歳)のころ、純文学系では唯一読んでいた、新潮文庫の黒の表紙の太宰治の小説に影響を受けました。太宰の小説の魅力はとにかく語り口にあります。まず、ものすごく読みやすいんですね。読者と作者とのコミュニケーションに意識的で、何重にも仕掛けがしてあって、まるで自分のことが語られているように読者は錯覚してしまうのです。だから、好き嫌いが分かれる作家です。嫌いな人は嫌いなのだけど、それは逆にすごく共感するところがあるのを隠すためだと思います。三島由紀夫が激しく嫌っていたのは有名だけど、案外似たところがあります。「人間失格」は太宰が自殺することで、作品が神話化されたように、「豊饒の海」は三島が自決することで完成する作品でした。2人ともメディアを利用して実人生そのものを作品化していたのです。太宰が弱さを演じていたとすると、三島は強さを演じていたといえます。「仮面の告白」もそうですが、他人から見られている自分と自分自身との差を埋めるために、「道化」や「仮面」が必要になるわけです。本当の自分なんてものはなくて、全ては命がけの演技である。そして、自分自身にさえわからない不気味なものが、自己の根底にはある。フロイトはそれをエスとかイドと呼んだのだけれど、それは本人にも認めたくないことなので、決して意識化できないものである。

テレビの深夜番組でタレントが心理学者に「本当の自分」を発見してもらって、強気なふりをするのは本当は気弱なのだとか分析してもらって喜んでいるのだけど、「本当の自分」を自分自身で理解することはありえないのである。

2007年7月 1日 (日)

角川春樹は消費社会のトリックスターだった

1975年、中学生になって自分の小遣いで本と映画を見るようになり、少ない小遣いで気楽に買えたのが角川文庫です。当時、角川春樹がエンタテイメント系の作家を強く押し出して、角川文庫を原作に映画を製作しはじめたころで、文学と映画のエンタテイメント化が進行していました。そのころは角川文庫で筒井康隆、小松左京、平井和正、眉村卓、半村良、豊田有恒、大薮春彦、横溝正史を読んでいました。SF小説やミステリーばかり読んで、いわゆる純文学系の小説は風景描写や心理描写に躓いて敬遠していました。1976年「犬神家の一族」1977年「人間の証明」1978年「野生の証明」と映画がヒットして、その後、薬師丸ひろ子や原田知代などの女優が登場します。

今から振り返るとこの時期に、角川春樹が文学と映画にエンタテイメントを導入したことは、文学や映画を娯楽商品として売ることを意識化したことでした。それまで文学や映画にはそれ固有の価値があると信じられたきたものが、「読んでから見るか、見てから読むか」との宣伝は消費社会の娯楽商品としての文学や映画の表明でした。ゲームやレジャーなどの他の娯楽商品と等価であることがはっきりしたのです。それゆえに、角川商法は批判され、映画も小説も幼稚だと良識人に嫌われていました。1993年、角川春樹が麻薬法違反で逮捕された時に、バッシングを受けたのは、彼があからさまに旧来の教養としての文学や映画を破壊したからでした。

それは純文学の領域で、1976年村上龍が「限りなく透明に近いブルー」、1978年に村上春樹が「風の歌を聴け」でのポップ化と同じ方向を向いていました。両村上の作品はその後も話題になり、若者を中心に純文学の世界で例外的に売れ続けます。批評の世界でも1978年柄谷行人が「マルクスその可能性の中心」を、蓮實重彦が1979年「表層批評宣言」を出版して、文学や映画の価値を、「内面」や「深層」ではなく、「交換価値」や「表層」に求める動きとも連動しています。こうして、批評自体にエンタテイメントを導入したことが、1980年代初めのニューアカデミズムを準備して難解な思想が売れるという怪現象がうまれたのです。

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